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Archive for the ‘Motojiro KAJII 1901-1932’ Category

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その二

私は一度河鹿(かじか)をよく見てやろうと思っていた。
河鹿を見ようと思えばまず大胆に河鹿の鳴いている瀬のきわまで進んでゆくことが必要である。これはそろそろ近寄って行っても河鹿の隠れてしまうのは同じだからなるべく神速に行なうのがいいのである。瀬のきわまで行ってしまえば今度は身をひそめてじっとしてしまう。「俺(おれ)は石だぞ。俺は石だぞ。」と念じているような気持で少しも動かないのである。ただ眼だけはらんらんとさせている。ぼんやりしていれば河鹿は渓(たに)の石と見わけにくい色をしているから何も見えないことになってしまうのである。やっとしばらくすると水の中やら石の蔭から河鹿がそろそろと首を擡(もた)げ はじめる。気をつけて見ていると実にいろんなところから――それが皆申し合わせたように同じぐらいずつ――恐る恐る顔を出すのである。すでに私は石であ る。彼らは等しく恐怖をやり過ごした体で元のところへあがって来る。今度は私の一望の下に、余儀ないところで中断されていた彼らの求愛が encore されるのである。
こんな風にして真近に河鹿を眺めていると、ときどき不思議な気持になることがある。芥川龍之介は人間が河童(かっぱ)の世界へ行く小説を書いたが、河鹿の世界というものは案外手近にあるものだ。私は一度私の眼の下にいた一匹の河鹿から忽然(こつぜん)と してそんな世界へはいってしまった。その河鹿は瀬の石と石との間に出来た小さい流れの前へ立って、あの奇怪な顔つきでじっと水の流れるのを見ていたのであ るが、その姿が南画の河童とも漁師ともつかぬ点景人物そっくりになって来た、と思う間に彼の前の小さい流れがサーッと広びろとした江に変じてしまった。そ の瞬間私もまたその天地の孤客たることを感じたのである。
これはただこれだけの話に過ぎない。だが、こんな時こそ私は最も自然な状態で河鹿を眺めていたと云い得るのかもしれない。それより前私は一度こんな経験をしていた。
私は渓へ行って鳴く河鹿を一匹捕まえて来た。桶(おけ)へ入れて観察しようと思ったのである。桶は浴場の桶だった。渓の石を入れて水を湛(たた)え、硝子(ガラス)で蓋(ふた)をして座敷のなかへ持ってはいった。ところが河鹿はどうしても自然な状態になろうとしない。蠅(はえ)を 入れても蠅は水の上へ落ちてしまったなり河鹿とは別の生活をしている。私は退屈して湯に出かけた。そして忘れた時分になって座敷へ帰って来ると、チャブン という音が桶のなかでした。なるほどと思って早速桶の傍へ行って見ると、やはり先ほどの通り隠れてしまったきりで出て来ない。今度は散歩に出かける。帰っ て来ると、またチャブンという音がする。あとはやはり同じことである。その晩は、傍へ置いたまま、私は私で読書をはじめた。忘れてしまって身体を動かすと また跳(と)び込んだ。最も自然な状態で本を読んでいるところを見られてしまったのである。翌日、結局彼は「慌(あわ)てて跳び込む」ということを私に教えただけで、身体へ部屋中の埃(ほこり)をつけて、私が明けてやった障子から渓の水音のする方へ跳んで行ってしまった。――これ以後私は二度とこの方法を繰り返さなかった。彼らを自然に眺めるにはやはり渓へ行かなくてはならなかったのである。
それはある河鹿のよく鳴く日だった。河鹿の鳴く声は街道までよく聞こえた。私は街道から杉林のなかを通っていつもの瀬のそばへ下りて行った。渓向うの木立のなかでは瑠璃(るり)が美しく囀(さえず)っていた。瑠璃は河鹿と同じくそのころの渓間をいかにも楽しいものに思わせる鳥だった。村人の話ではこの鳥は一つのホラ(山あいの木のたくさん繁(しげ)ったところ)にはただ一羽しかいない。そして他の瑠璃がそのホラへはいって行くと喧嘩をして追い出してしまうと云う。私は瑠璃の鳴き声を聞くといつもその話を思い出しそれをもっともだと思った。それはいかにも我と我が声の反響を楽しんでいる者の声だった。その声はよく透(とお)り、一日中変わってゆく渓あいの日射(ひざ)しのなかでよく響いた。そのころ毎日のように渓間を遊び恍(ほう)けていた私はよくこんなことを口ずさんだ。
――ニシビラへ行けばニシビラの瑠璃、セコノタキへ来ればセコノタキの瑠璃。――
そして私の下りて来た瀬の近くにも同じような瑠璃が一羽いたのである。私ははたして河鹿の鳴きしきっているのを聞くとさっさと瀬のそばまで歩いて行った。すると彼らの音楽ははたと止まった。しかし私は既定の方針通りにじっと蹲(うずく)まっておればよいのである。しばらくして彼らはまた元通りに鳴き出した。この瀬にはことにたくさんの河鹿がいた。その声は瀬をどよもして響いていた。遠くの方から風の渡るように響いて来る。それは近くの瀬の波頭の間から高まって来て、眼の下の一団で高潮に達しる。その伝播(でんぱ)は微妙で、絶えず湧(わ)き起り絶えず揺れ動く一つのまぼろしを見るようである。科学の教えるところによると、この地球にはじめてを持つ生物が産まれたのは石炭紀の両棲類(りょうせいるい)だということである。だからこれがこの地球に響いた最初の生の合唱だと思うといくらか壮烈な気がしないでもない。実際それは聞く者の心を震わせ、胸をわくわくさせ、ついには涙を催させるような種類の音楽である。
私の眼の下にはこのとき一匹の雄(おす)がいた。そして彼もやはりその合唱の波のなかに漂いながら、ある間(ま)をおいては彼の喉(のど)を震わせていたのである。私は彼の相手がどこにいるのだろうかと捜して見た。流れを距(へだ)てて一尺ばかり離れた石の蔭(かげ)におとなしく控えている一匹がいる。どうもそれらしい。しばらく見ているうちに私はそれが雄の鳴くたびに「ゲ・ゲ」と満足気な声で受け答えをするのを発見した。そのうちに雄の声はだんだん冴えて来た。ひたむきに鳴くのが私の胸へも応(こた)えるほどになって来た。しばらくすると彼はまた突然に合唱のリズムを紊(みだ)しはじめた。鳴く間がたんだん迫って来たのである。もちろん雌は「ゲ・ゲ」とうなずいている。しかしこれは声の振わないせいか雄の熱情的なのに比べて少し呑気(のんき)に見える。しかし今に何事かなくてはならない。私はその時の来るのを待っていた。すると、案の定、雄はその烈(はげ)しい鳴き方をひたと鳴きやめたと思う間に、するすると石を下りて水を渡りはじめた。このときその可憐(かれん)な風情(ふぜい)ほど私を感動させたものはなかった。彼が水の上を雌に求め寄ってゆく、それは人間の子供が母親を見つけて甘え泣きに泣きながら駆(か)け寄って行くときと少しも変ったことはない。「ギョ・ギョ・ギョ・ギョ」と鳴きながら泳いで行くのである。こんな一心にも可憐な求愛があるものだろうか。それには私はすっかりあてられてしまったのである。
もちろん彼は幸福に雌の足下へ到(いた)り着いた。それから彼らは交尾した。爽(さわ)やかな清流のなかで。――しかし少なくとも彼らの痴情の美しさは水を渡るときの可憐さに如(し)かなかった。世にも美しいものを見た気持で、しばらく私は瀬を揺がす河鹿の声のなかに没していた。

Many thanks for the text :
Aozora-Bunko (http://www.aozora.gr.jp)
Original text here (
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Artist: Daniel Estrem
Album: Reverie 12-Trio (piano sonata 12) (J Haydn) (2:23)

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Artist: Kitka
Album:Wintersongs 17-Shchedrik (Ukraine) (1:22)

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Artist: Daniel Estrem
Album: Reverie 29-Venetian Boat Song 1 (F Mendelssohn) (3:39)

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Artist: Kaare Norge: outstanding classical guitar
Album: Fantasia 12-Midnight

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Artist: Daniel Estrem
Album: Ravel on Guitar and Ukulele 14-Prelude (M Ravel) (1:30)
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Artist: AlmaNova
Album: Debut 01-Sarajevo Nights

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